第四弾・刀剣御朱印めぐり~よりみち編~
本能寺
法華宗本門流の大本山。
織田信長が明智光秀に襲撃された「本能寺の変」の後、豊臣秀吉によって現在地に移転・再建されました。
過去に五回も焼失しているので、本能寺の「能」の字にある「ヒ(火)」を嫌い、別の字を当てはめている話が面白かったです。
よく見るとパンフレットや看板も「能」という字を使っていません。
新発見にやや興奮気味になりました!
変わった石があるな~と思ったら、加藤清正が寄進した臥牛石!?
まさか本能寺と関わりがあったなんて。
この石の由来は清正が朝鮮半島へ渡った時の土産だとか色々と説があるみたいです。
真相は不明。
薬研藤四郎と不動行光!
同時期に開催しているスタンプラリーのフォトスポットでもあります。
本堂脇を奥に進むと、信長公廊が佇んでいます。
目立たない所にある為か、訪れてる人は少なかったです。
その横には本能寺の変で戦没した人たちの供養塔と名簿がありました。
織田信忠と森兄弟しか分からない…もっと織田家の知識を身につけたいなあ。
瑞泉寺
豊臣秀次とその一族を弔う為に建立されたお寺。
大河ドラマ「真田丸」で彼に興味を持ち、このお寺の存在を知りました。
秀次が死なずに生きていたら豊臣家の結末はまた違ったんじゃないか、などの妄想が膨らみます。
秀次と一族のお墓に御線香を供え、しんみりした気持ちのまま寺を後にしました。
三条大橋
橋の擬宝珠には池田屋事件で付いたとされる刀傷があります。
金属に刀傷って、こんなにハッキリと残るんですね。
すぐそこに例のスタバが!(6-2…明石…ドロップ…うっ頭が)
スタバでお昼休憩をとることにしました。
窓越しに鴨川を眺めながら、ホットチャイティーで一服。
過去に近隣の川岸で処刑や晒し首が行われた場所である事をふと思い出し、ちょっと複雑な気持ちになってしまいました。(石田三成や豊臣秀次らも三条河原で晒し首に処されています)
北野天満宮
御朱印めぐりを終えた後、時間があったのでちょっと足を延ばして北野天満宮へ。
…が、適当に歩いていたらかなり遠回りになってしまい、着いたのが16時。
宝物館間に合わなかった\(^o^)/
何故ちゃんと地図を見ずに歩いたのか…あの時の自分を蹴りたい;;
兄者ぁぁ!
宝刀展…見たかった;;
梅の花はつぼみが多かった気がします。見ごろはまだまだこれからですね。
北野天満宮に来るのは初めてだったのですが、雰囲気がすごく素敵ですね。
特に絵馬所から三光門への道のりが個人的にドストライクでした。
日が暮れ、足もクタクタだったので隅々まで探索できず。
次回スタンプラリーで訪れた際は、たっぷり堪能してやろうと思います!